刑事ドラマにおいては、制作テレビ局や制作会社のほとんどが在京であると言う事もあり、警視庁あるいは神奈川県警察の管内を舞台とすることが多い(関東圏以外で一番多いのは京都府警察管内。これは京都に撮影所が存在するため)。主人公を一人の刑事、もしくは特定の警察署刑事課員とする事が多いため、こと連続ものに於いては一警察署の管轄内でばかり短期間に凶悪犯罪が多発してしまう。このため、事件その物は東京近郊で発生させ、逃走を図った容疑者を追跡する、あるいは事件の真相解明の為に地方に出向く等して、物語の舞台に幅を持たせる事がある。又、同様に多く使われる手法としては、他県警からの協力要請に基づき地方に出向く、休暇中に訪れた先で事件が発生する等がある。特に後者の場合は、その舞台が海外となる事も少なくない。舞台を所轄警察署とせずに警察本部の捜査第一課や架空の広域捜査専門部署などに設定されることも多い。2時間ドラマにおいては地方の警察を主な舞台にしていることが多くなってきている(代表例:信濃のコロンボシリーズ…長野県警察)。人口規模でもトップ3に入る大阪府警察や愛知県警察が舞台になることは近年ではほとんどなく、2000年代以降は皆無に等しい。
劇中に登場する警察署は実在しないケースが多い("西"新宿署など)が、最近では実在の警察署が用いられることもある。なお都道府県警レベルでは通常、実在の名称が使われるが、稀に県及び県警本部ぐるみの組織犯罪を扱う場合、イメージダウンを避けてか架空の県名が用いられる場合もある(代表例:Gメン'75スペシャルにおける甲南県警察(劇中の位置からして山梨か静岡)…パトカーによる一般市民ひき逃げや証拠隠滅による殺人未遂など)。
刑事ドラマはその性格上、殺人事件等の凶悪な事件を取り扱うことが多く、犯罪、特に少年犯罪(『TEAM』は少年犯罪を題材にした刑事ドラマ)等の増加は刑事ドラマの流行に影響されているとする説もある。それは特に2時間枠の「サスペンス枠」に顕著であり、平日昼に再放送されるサスペンスドラマに対して批判が集まることがあり、児童・生徒の下校時刻と被る場合もあり、PTAなどから批判もある。尤もこの種の批判に対しては、ゲームやアニメへの同様の批判と同じく科学・統計的根拠に乏しく、特に視聴者層などの要件を鑑みても、刑事ドラマやサスペンスドラマにおける犯罪描写と少年犯罪との因果関係を証明するのは困難であるとする声も多い。
また、1990年代前半までの作品(かつてヒットした「非情のライセンス」「大都会」「太陽にほえろ!」「西部警察」「あぶない刑事」など)では捜査・取調の過程で警察官が暴力を振るうシーンなどが頻繁に描かれていた。そのため「警察は暴力的である」というイメージを植え付ける根源ともなったとされている。これらの作品はいわゆる刑事ドラマのエポックメイキング的存在で、これ以降殆どの刑事ドラマに影響を与えたため、警察はこれらの番組をあまり良い形で受け取っておらず、警察広報も難色を示したり抗議したこともあるとされる。反面、こうした番組を見たことで憧れを持ち実際に警察官となった者も少なくはなく、「現実的でない分、却って割り切って見ることができる」と好意的な警察官も存在している。
現在の刑事ドラマの骨格が作られたとされる'70年代当時は、日米安全保障条約などに関する疑義が広がるなどした言わば「政治の季節」の影響が色濃く残っていた時代でもあった。また日本映画界の斜陽化を機に、数多くの映画スタッフがTVの世界へ進出していたのもこの時期であり、当然ながら刑事ドラマも当時の映画界を取り巻く情勢から多大な影響を受けることとなった。そのため社会の現状に対する不満や暗部の告発を、例え政治家や大企業が相手であろうと告発するとしたストーリーを持つ事も多く、こうした社会正義を大げさに訴えかける事で視聴者の興味を惹く類の作品に対しては、犯人逮捕時や取調べ時の過激な暴力描写なども含めて「例え演出であろうとあまりに反体制的」と主張する人々も存在した。ただしこのような種類の評価に対しては、自身が属する組織に深く疑問を持ちつつも敵対はせず、己の信念に従って求道的な解決を模索する物語の基本パターンなどの点から、単に仁侠映画の影響下に有ったに過ぎないとの指摘も成されている。どちらにせよ黎明期における刑事ドラマは、官僚や警察組織は必ず腐敗している、体制に疑問を持つものは一人の例外も無くテロリスト、若者はどこまでも堕落的で自分勝手、主要な登場人物と懇意になった者は必ず大事件に巻き込まれるなど、ドラマチックさを極端に重視した舞台立てを特徴とするものが多かった。
その後'80年代に入ると、今度は「政治の季節」から「軽、薄、短、小」などの流行語が生まれる世相へと時代は変化。それに合わせて刑事ドラマも「西部警察」に代表されるドンパチ路線の全盛を経て「あぶない刑事」のような若年向けアクションコメディと「はぐれ刑事純情派」のような中高年向けの人情劇への二極化傾向が強まる事となった。しかしそのいずれの路線においても、かつて'70年代のそれが持ち合わせていたアナーキー性やテーマ性は影を潜める結果となった事から、刑事ドラマ全体のマンネリ化を加速させてしまったとの批判も生まれた。'90年代も半ばを過ぎるとバブル崩壊によって多額の予算を必要とするアクション主体の作品がほぼ見られなくなり、同時に人情主体の作品が新たな展開を見せられずにマンネリ色を強めて行った。
しかしそのような中でも新たな潮流として「踊る大捜査線」のような職業路線や「ケイゾク」などのサイコホラータッチの作品(いずれもアニメーションの影響を色濃く受けている)が隆盛を見せる一方、「刑事追う!」(テレビ東京)、「ショカツ」(フジテレビ)など、現代風のリアル路線と'70年代風の劇的テイストを併せ持った佳作として、一部でコアに支持を得た作品も存在する。またそれらの路線とは別に、'90年代初頭から半ばにかけて人気を博した特撮ドラマ「レスキューポリスシリーズ」の様に、子供向けにアレンジされつつも'70年代刑事ドラマを髣髴させる荒廃とアナーキズム、そしてペーソスに満ちた重厚なストーリーを展開し、バブルを経て軽薄化の一途を辿った一般向けの警察ドラマに不満を抱いていた往年のファンから高い支持を獲得する“特撮刑事ドラマ”という以前には考えられなかった新たな路線を切り拓く例も見られた。
近年では重厚な作りのドラマは流行らない傾向が強いため、刑事ドラマも全体にコミカルな描写が増やされる傾向にあるとされる。しかし「踊る大捜査線」などにおいても捜査描写は“刑事ドラマ的”であり、警察官の姿は刑事訴訟法や警職法といった現行法に忠実な描かれ方をしているなど、かつて開拓された様々な路線の長所を生かす機運は現在でも存在する。また以前とは違い、警察官も派手な仕事ばかりではなく、会社員のようにあくまで組織の中で仕事をするという側面を色濃く描いた作風は、現実の警察を逸脱しないイメージであるとして警察にも好感をもたれているとされる。
とはいえ、現実社会では不祥事や捜査の杜撰さなどが次々と明らかになり、フィクション以上にダーティな一面を晒す事も多くなった警察の実態に非難が強まる昨今では、こうした新しい警官像よりもかつて描かれていた暴力的で法や倫理を顧みない“非現実的な”警察官の姿こそ、実際の警察の姿をアンチテーゼ的にカリカチュアライズした側面もあったとする評価さえ存在する。実際に'90年代以降は“現実に則さない”とされる描写や警察官による不祥事・犯罪といったテーマがTVドラマで扱われる機会が減少し、逆に「優等生」的な刑事(『さすらい刑事旅情編』『こちら本池上署』『警視庁捜査一課9係』など)を主人公にしている刑事ドラマが目立っているが、その原因として、一説には公権力の側から抗議される事を恐れている為とも言われている。もしそれが事実であれば、民主主義の基本の一つである表現の自由という観点から表現・言論行為への介入であると批判せざるを得ないものだけに、記者クラブ制度や警察24時系番組などと並んで、警察とTV各局との間に癒着を疑わせないドラマ作りを行う事が今後このジャンルにおける重要なテーマの一つと言える。
なお、近年では刑事が常に拳銃を携帯しているといった演出が「現実に則さない描写」として指摘されることも多く、昨今の刑事ドラマにおいてもリアリティを追及する余り「刑事は緊急時外は拳銃を携帯しない(できない)」といった誤った描写が氾濫しているが、実際の「警察官等けん銃使用及び取扱い規範」においては、本来警察官の拳銃携帯は「義務」として位置づけられており、拳銃携帯に特別な許可や命令といった概念は存在しないのが事実である。また元警視庁巡査部長である古賀一馬によるドキュメンタリー「警察官の掟」(三笠書房刊)においても、「拳銃を持たない刑事もいれば、常に拳銃を持ち歩いている刑事もいる(要約)」との記述がある
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