2009年07月01日

神武天皇

神武天皇(じんむてんのう、庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?) - 神武天皇76年[1]3月11日(紀元前585年4月9日?))は、日本の伝説的な初代天皇。在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日?) - 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)。百歳を越える年齢、とても一人の人物が行ったとは思えない業績(後述)などから見て、実在の人物ではないとするのが一般的である。

『古事記』では神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)と称され、『日本書紀』では神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。神武天皇という呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を一括撰進したときに付されたとされる。
ダイエット日記に挑戦
スキューバダイビングを楽しむ生活を!
ゴルフパークへようこそ!
おもちゃの小部屋
スターライトのカーマニア
ガーデニングの箱
かわいいネイルでオシャレ
キャリアセンターのカッパさん
キャンプねっと。ファミリー特集!
おしゃれな女性ファッション
クチコミグルメランキング
くるくるクーポン情報
ゴルフに連れてって!
てのひらでDVDポータルぴあ
とっておきのアウトドアスポット
マーメイドの観光農園視察
インターネットストーリー
マイホームの掃除術伝授
ママの携帯電話アリーナ
モデルのポンポン活動報告
ルーキーのグルメ食べ歩き!
仮面自動車視察ツアーの案内

天皇が即位した年月日は、紀元前660年2月11日にあたるとされる。これにより、2月11日は日本が建国された日として、1873年(明治6年)に祭日(紀元節)と定められた。紀元節は1948年(昭和23年)に廃止されたものの、1967年(昭和42年)には建国記念の日として、祝日とされた。

以下は主に『日本書紀』に拠った神武天皇の事跡である。内容が神話的であり、神武天皇の実在も含めて現在の歴史学では、そのままの史実であるとは考えられていない。『古事記』にも神武天皇の物語があり、大略は同じだが遠征の経路などが若干異なる。

2009年06月13日

グースの論文が発表された翌年、アンドレイ・リンデ

グースの論文が発表された翌年、アンドレイ・リンデ[4]やアンドレアス・アルブレヒトとポール・スタインハート[5]のグループはそれぞれ独立に、新しいインフレーション (new inflation) またはゆっくり転がるインフレーション (slow-roll inflation) と呼ばれるモデルを提唱した。古いインフレーションでは、インフレーションの元となるスカラー場があるポテンシャルの極小値に停留した状態からトンネル効果でポテンシャル障壁を越えて転がり落ちる過程としてインフレーションがモデル化されるが、新しいインフレーションモデルでは、古いインフレーションに比べてポテンシャルの形が極小を持たないほぼ平坦な形状になっており、このポテンシャルの上をスカラー場がゆっくりと転がり落ちるとされている。このモデルでは宇宙の膨張は近似的にド・ジッター宇宙になるだけで、ハッブル・パラメータは実際には減少する、すなわち膨張は減速する。古いインフレーションのド・ジッター宇宙では偽の真空の中に生まれるゆらぎのスペクトルは厳密にスケール不変になるが、新しいインフレーションでは近似的にスケール不変になるだけである[6]。このことはすなわち、インフレーション中のポテンシャルに関する情報を、宇宙マイクロ波背景放射のゆらぎのスペクトル指数を測定することで原理的に引き出せることを意味している。ゆっくり転がるインフレーションでは、インフラトンのポテンシャルがほぼ平坦な領域の終端まで達するとインフレーションは終わり、ここからポテンシャルの傾きは(エネルギー密度に対して)増加して、転がり落ちる速度も増加する。これがこのシナリオでの再加熱過程で、ポテンシャルのエネルギー密度の値に応じてインフラトンとの相互作用によって火の玉宇宙の輻射や粒子が生成される。
あの付く言葉
四字熟語集
夏目漱石集
妊婦さんの豆知識
日本の美術
大好き昆虫
日本の詩歌
長寿祝い
つらい・花粉症
おいしいお菓子
病理学
宇宙船
スノーモービル
心臓病
脚本
腎臓病
光学
陶芸
ボランティア
ブーメラン

新しいインフレーションは一般に永遠に続く。スカラー場は古典的にはポテンシャルを転がり落ちるだけだが、量子ゆらぎによって時にはポテンシャルの高い位置に再び戻される場合もある。これらの領域はインフラトンのポテンシャルエネルギーが低い領域に比べて非常に速く膨張する。従って、いくつかの領域ではインフレーションが終わっても、インフレーションが続いている領域は指数関数的に成長するため、インフレーションが起きている領域の方が常に宇宙の大部分を占めることになる。このような、ある領域でインフレーションが終わっても量子力学的ゆらぎのために宇宙の大部分でインフレーションが持続するという定常状態は永久インフレーション (eternal inflation) またはカオス的インフレーション (chaotic inflation) と呼ばれ、アンドレイ・リンデによって最初に提唱された[7] [8]。永久インフレーションが過去においても永遠かどうか、すなわち宇宙は無限の過去から続いているのかどうかについては疑わしいとする意見が多い[9] [10] [11]が、異論もある[12]。そのため、このモデルが宇宙の初期条件の問題を解決できるかどうかは未解決である。無限の過去から続く永久インフレーションというモデルは、主流派宇宙論における定常宇宙論であると見ることもできる[13] [4]。なぜならこのモデルは完全宇宙原理を満たすからである。

新しいインフレーションの拡張として、ハイブリッド・インフレーション (hybrid inflation) と呼ばれる別のインフレーションモデルもある。このモデルでは新たなスカラー場を導入し、ある一つのスカラー場が通常のゆっくり転がるインフレーションに対応し、別の場がインフレーションの終了を引き起こす。すなわち、インフレーションが十分長く続くと、第二の場が非常に低いエネルギー状態に落ち込む確率が増え、これによってインフレーションが終わるというものである

2009年06月08日

目標喪失と新しい理論の構成

ユングは自己の内面と向き合うために、チューリッヒ大学講師の職を辞し、1913年、フロイトの「リビドー」の定義を拡大させた自身の心理学を「分析心理学」として公に公表すると共に、フロイト及びその学派と訣別した。これをもって彼の精神の破局だと見なし[5]、ユングがこの時期精神分裂病に陥っていたとする見方もある。しかし、この時期を彼の「創造の病」の時期と見なす見方もある。[6]
スポット 美容整形 賃貸 結婚 SEM促進 仏具 成人病 ゲーム 多汗症 美容 学習指導 特産物 音楽 旅館 ケア 法人設立 ネイル SEO対策 クレジット 多汗症 葬儀 リラク 墓石 英会話 事務用品 楽器教室 交通地図 審美歯科 遊園地 健康 エージェント 出会い 化粧品 宣伝 タロット 多汗症 老人 リラク おもちゃ 資格 学習 学習 観光 しみ取り SOHO ケア 税理士 実益 起業 生活雑貨

事実、ユングはなおも不屈の意志で研究を続け、一見無関係に思えていたことが、実は深い関係があることや、様々な無意識の働きを見出す。ユングは、湖[7]の近くに購入した家を、石匠の助力を得ながら徐々に増築し、それが自己の表現の一環となっていたことに後で気づいた。彼は自部屋で瞑想の時間をしばしば持った。研究の進展に行き詰まり、心を彷徨わせていたユングは、紙の上に落書きを描いていて、何故かそれが「円」に似た形へと向かっていることを見出す。後に「マンダラの研究」として纏められた「心の全体性」の象徴としての「円=マンダラ」は、このようにしてユングに自覚されたものである。

ユングはフロイトとの決別以後は、精神分析的手法とは別の治療法を模索した。最初は方向喪失していた彼はそれでも患者と向き合い続け、やがて患者の無意識の流れに任せることに、治療的意義を見いだした。

1920年、フロイトとの訣別の7年後、ユングは、45歳で『心理学的類型 Psychological Type』を公刊し、彼自身の独自の深層心理学理論を発表する。

2009年04月25日

王家の谷

古代エジプトの王達は、来世への復活を万全のものとし自らの権威を示すために巨大な王墓を造営していた。新王国時代、第18王朝の王トトメス1世の頃にテーベ西側の涸れ谷に初めて王墓が造営されて以降、歴代の王達がこの地で次々に王墓を造営した。これが王家の谷である。第2中間期、第17王朝時代の王墓がメル墓(小ピラミッド墓)であったのに対し、第18王朝に入ると王墓の形式は変化した。葬祭殿と王墓が分離し、谷を掘って作る岩窟墓になったのである。

バルコニー美的生活COM
シェークスピア 経済ガイド
相棒快適生活ナビ
デパーテ健康トレンディサーチ
ウィナーズ買物隊紹介
通信教育・生涯学習関連教育対策サイト
遊園地・チケット予約関連観光タウンネット
ピエールオジェコスメ販売情報
ジェメンド マネービジネス情報
ワンパック生活雑貨情報
カランドようこそ健康情報

トトメス1世の時代に王家の谷に墓を造営した初期の責任者であった高官イネニの墓に残された石碑には以下のようにある。

「わたしは陛下の墓を掘る作業を指揮した。自分ひとりで、見られることもなく、聞かれることもなく。」

この碑文は王家の谷についての研究で頻繁に引用され、従来王家の谷の王墓建設が秘密裏に実行されたことを示していると解釈されてきた。しかし20世紀半ば過ぎにはニムスなどの研究者によって、これは秘密裏に実行したことを示すのではなく、監督権限がイネニのみにあったことを示すものであるという解釈が提出され、支持を得ている。

新王国時代の大規模建築は数多く現存している。以下に歴代の王が行った建築活動のうち代表的なものを列挙する。

ハトシェプスト
ハトシェプストは女王としては初めてエジプトの実質的な統治権を握った人物であった。彼女はデイル・アル=ハバリにあるメンチュヘテプ2世王墓の真横に巨大な葬祭殿を建設させた。
トトメス3世
トトメス3世は「古代エジプトのナポレオン」とも評される[12]征服王であった。彼はテーベのアメン神殿に第6塔門、4本のオベリスクなどを建設し、ヘリオポリスにも2本のオベリスクを建てた。トトメス3世が行った多くの建設事業は宰相レクミラによって監督されたと考えられている。
アメンヘテプ3世
第18王朝が最も繁栄した時代を統治したアメンヘテプ3世は空前の規模の建築活動を行った。取り分け重要なのはテーベのそばに作られたマルカタ王宮である。王宮は南宮殿、中宮殿、北宮殿からなり、その北にはアメン神殿が建てられた。また王宮にはビルカト・ハーブと呼ばれる長さ3km、幅900mにわたる人造湖が作られ、ナイル川と結ばれて港湾施設となっていた。
アメンヘテプ4世(アクエンアテン)
アテン信仰を追求し、他の神の排除を行ったアメンヘテプ4世の時代にはアテンのための新都アケトアテンが建設された。これは現在アマルナと呼ばれており、ここから発見された多数の外交書簡などは古代史の解明に大きな役割を果たしている。また彼の治世にはアマルナ美術と呼ばれる新しい芸術様式が普及した。
トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)
トゥトアンクアメン自体はそれほど目立つ王ではないが、ほとんど無傷で発見された彼の王墓から豪華な副葬品が出土し、古代エジプトの美術品の中でも最高水準のものを現代に伝えた。実際には彼の王墓も2度の盗掘を受けているが、王墓が異例なほど小規模だったことと、その後の工事の際に瓦礫の下に埋まってしまったこと、更にアテン信仰に関わった王の歴史が後に抹消されたことなどが重なり、本格的な盗掘を免れた。
ラムセス2世
ラムセス2世は古代エジプト史上最大の建築活動を行った王である。エジプト各地に彼の記念建造物が残されており、代表的なものとしてはヌビアに建設されたアブ・シンベル神殿やテーベに建てられたラムセス2世葬祭殿(ラメセウム)が挙げられる。
ラムセス3世
最後の偉大な王とも言われるラムセス3世が建設したラムセス3世葬祭殿(マディーナト・ハブ神殿)は「海の民」に関する記録が碑文に刻まれていることから重要である。壁面にはラムセス2世の葬祭殿から複写された戦勝記念碑分などが記載されている。

2009年04月07日

コマーシャルソング

コマーシャルソングは、テレビやラジオで放送されるコマーシャル (CM) で使用される歌である。コマソン、CMソングとも呼ばれる。歌詞のないインストゥルメンタルである場合もあるが、その時は「CM曲」と呼ばれる。また特にTVCMやWebCMなどの動画広告の場合は「コマーシャルフィルム (commercial film)」とも呼ぶことから「CFソング」「CF曲」と呼ばれることもある。

現在のコマーシャルソングは、その成り立ちによって次の2つに大分される。

歌詞に商品名や商品の特徴を織り込んだ楽曲。純粋な意味でのコマーシャルソングといえる。商品名等が連呼されることが多いのが特徴。
歌詞に商品名がなく、商品やコマーシャル映像を想起させるイメージを持つ楽曲。イメージソングとも言う。
前者のコマーシャルソングは楽曲そのものが宣伝媒体の一つといえるため、民間企業の宣伝行為を行わない公共放送であるNHKで流れることはほとんどない(公共広告でのケースを除く)。また、NHK以外であっても、音楽番組等で取り上げられることは少ない。レコード・CD化されることは少なく、されたとしても商品名が出てくる歌詞は別なフレーズに置き換えられることが多い。

一方、後者については純粋に楽曲として注目されることも多く、各種音楽番組で歌われることもあり、NHKでも音楽番組(NHK紅白歌合戦)で歌われることもある(当然、用いられたCMについて詳しく触れられることは皆無である)。音楽業界もCMでの宣伝効果に注目し、1980年代以降、レコード会社が歌手を売り込むためにコマーシャルを利用する、いわゆるタイアップ曲(レコード会社とコマーシャル企業とがタイアップして作るのでこう言う)が増えてきた。この場合、商品のイメージと曲とが大きくかけ離れていることも少なくない。逆に、CM用に作った15秒から30秒程度の曲が、放映後の反響から一つの作品として改めて製作され、発売に至る場合もある。

前者・後者を問わずCM作成に応じてコマーシャルソングが作成される(企業CMやシリーズものCMであれば同一曲が継続して用いられる)事が一般的であるが、既存の楽曲がコマーシャルソングに起用されることもよくある。CMを既存曲のイメージで作成する場合や、既存曲のワンフレーズを駄洒落的に用いる場合に多い。


コマーシャルソングとして使用された主な楽曲 [編集]
以下のコマーシャルソングには、CD・レコード等で発売されていない楽曲も含まれている。
1960年代以前〜1990年代の曲名に●印が付いている時は2007年現在もCMにて使用されている曲である(放送開始当初からアレンジされているケースも含む)。

1960年代及びそれ以前 [編集]
ちゃっきり節(静岡電気鉄道「狐ヶ崎遊園地」)
クラブの歌(中山太陽堂「クラブ石鹸」)
味の素音頭(味の素)
ボクはアマチュアカメラマン(灰田勝彦;小西六)
やっぱり森永ネ(中村メイコ;森永製菓)
●エンゼルは いつでも(川田孝子、コロムビアゆりかご会;森永製菓)
●明るいナショナル(三木鶏郎合唱団;松下電器)
ミツワ石鹸テーマソング(コーラス;ミツワ本舗)
ルルの歌(三共「ルル」)
●牛乳石鹸の歌(中原美紗緒;牛乳石鹸共進社)
●ロート製薬テーマソング(津野陽二;ロート製薬)
パンシロンでパンパンパン(ロート製薬「パンシロン」)
光る東芝(デューク・エイセス;東芝)
有楽町で逢いましょう(フランク永井;そごう)
●伊東に行くならハトヤ(ブラック・キャッツ;ハトヤホテル)
カッパの唄(楠トシエ;黄桜酒造)
●チョコレートは明治(スリーグレイセス;明治製菓)
マーブル、マーブル、マーブルチョコレート ポン!(明治製菓「マーブルチョコレート」)
世界は二人のために(佐良直美;明治製菓「アルファチョコレート」)
日石灯油の歌(ENEOS)
キンカンの歌(雪村いずみ、ダークダックス;金冠堂「キンカン」)
●どこまでも行こう(山崎唯;ブリヂストン)
パルナスの歌(中村メイコ、ボニージャックス;パルナス製菓)
小田急ピポーの電車(ザ・ピーナッツ、ボニージャックス;小田急電鉄)
エーワンベーカリーの歌(ザ・ピーナッツ;エーワンベーカリー)
うちのテレビにゃ色がない(榎本健一;三洋電機カラーテレビ)
ナゴヤ地下街の歌(楠トシエ;ナゴヤ地下街、後身は名駅地下街サンロード)
●マルキン自転車(楠トシエ;丸金自転車)
チョチョンのパ(船橋ヘルスセンター)
●ブタブタコブタ(エースコック)
レナウン娘(シルヴィ・ヴァルタン;レナウン)
渡辺のジュースの素の歌(渡辺製菓)
サクマのチャオ、キャンロップの歌(佐久間製菓)
くりくり三角小さなドロップ(ヴィックス)
●あーらよっ!出前一丁(日清食品「出前一丁」)
ライオネスコーヒーキャンディー(篠崎製菓)
●カステラ1番電話は2番(文明堂)
●バーモントカレーの歌(ハウス食品「バーモントカレー」)
●目覚め―ネスカフェ・ゴールドブレンドのテーマ(ネスレマニュファクチャリング「ネスカフェ・ゴールドブレンド」)

1970年代 [編集]
マンダム〜男の世界〜(ジェリー・ウォレス;マンダム)
わたしの城下町(小柳ルミ子;国鉄「ディスカバー・ジャパン」)
のんびり行こうよ(鈴木ヒロミツ;マイク真木 ; モービル石油)
ケンとメリー〜愛と風のように〜(BUZZ;日産自動車「スカイライン」)
●明治チェルシーの唄(シモンズ;明治製菓「チェルシー」)
●初めての街で(西田佐知子;菊正宗酒造)
Have A Nice Day(吉田拓郎;富士フイルム)
家をつくるなら(加藤和彦;パナホーム)
青春のバラード(森田健作;江崎グリコ「アーモンドチョコレート」)
Cider'73,'74,'75,'77(大滝詠一;三ツ矢サイダー)
Cider'74(山下達郎;三ツ矢フルーツソーダ)
ガンバラナクチャ(中外製薬「新グロモント」)
ふりむかないで(ハニー・ナイツ;ライオン「エメロン」)
●日立の樹(ヒデ夕樹;日立グループ)
●いいもんだな故郷は(三橋美智也;明治製菓「カール」)
●それにつけてもおやつはカール(明治製菓「カール」)
マイ・ピュア・レディ(尾崎亜美;資生堂)
サクセス、サクセス(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド;資生堂)
愛のメモリー(松崎しげる;江崎グリコ「アーモンドチョコレート」)
UFO(ピンク・レディー;日清食品「UFO」)
ストレンジャー(ビリー・ジョエル;パイオニア)
時間よ止まれ(矢沢永吉;資生堂)
君のひとみは10000ボルト(堀内孝雄;資生堂)
Mr.サマータイム〜夏物語〜(サーカス;カネボウ)
アメリカン・フィーリング(サーカス;日本航空)
夢想花(円広志;日本航空)
夢一夜(南こうせつ;資生堂)
季節の中で(松山千春;江崎グリコ)
HERO(ヒーローになる時、それは今)(甲斐バンド;セイコー)
●かに道楽(デューク・エイセス)
赤いトラクター(小林旭;ヤンマー)
Cider'76(山下達郎;三ツ矢サイダー)
LET'S KISS THE SUN(山下達郎;日本航空「JAL沖縄」)
●スジャータ (めいらくグループ)
オー、モーレツ(丸善石油)
●サッポロ一番カップスター(のこいのこ;サンヨー食品)
いい日旅立ち(山口百恵;国鉄「いい日旅立ち」)
愛の嵐(山口百恵;トヨタ自動車『ターセル』および『コルサ』)
燃えろいい女(ツイスト;資生堂)
春の予感 -I've been mellow-(南沙織;資生堂)※1990年代にはDDIのCMソングとして使用された。
私のハートはストップモーション(桑江知子;ポーラ化粧品「バリオ」)
ドリームオブユー〜レモンライムの青い風(竹内まりや;キリンビバレッジ「キリンレモン」)
戻っておいで・私の時間(竹内まりや;伊勢丹)
異邦人(久保田早紀;三洋電機「シルクロード」)
コカコーラ'79(山下達郎;コカコーラ)
微笑の法則(柳ジョージ&レイニーウッド;資生堂)
Wake Up(財津和夫;セイコー)
シャイニング・スカイ(TINNA;全日空スカイホリデー)
やさしさに包まれたなら(松任谷由実;不二家「ソフトエクレア」)
避暑地の出来事(松任谷由実;伊勢丹)
ナビゲイター(松任谷由実;三菱電機「ダイアトーンステレオ」)

チモール ジョリティ ジルバ マンボ サーチガム ロズウ いととく ペクトル オフロ スマトラ ネック ショルダ バンジョ キャリア ハマユ タッグ ユーコン JAPAN いちにいさん 天徳 バキュ バンパイア コンヒ ナビミット ツツジ コート おおだま マングース ビーバー ホルダー しょく コチュカル パラペ フレー ビエンナ フリー ライス 王の行進 マイクラ レジス サンセ ドラマ オール ビショ きたひろ ナンプレ クロス マモモ モノク リュート

2009年03月23日

樺太の鉄道

樺太の鉄道では、日本統治時代の樺太に於ける鉄道(樺太庁(戦前)の樺太庁鉄道や内地編入後の鉄道省(後の運輸省)樺太鉄道局)について記す

明治初年において樺太は国境画定ができず日露混住の地とされたが、1875年の樺太・千島交換条約により、日本は一旦、樺太はロシア領となった。その後、日露戦争の講和のため1905年(明治38年)9月5日に締結されたポーツマス条約によって、北緯50度線以南が日本領となるが、それに先駆けて同年7月には日本軍が上陸しており、8月には軍政が島全域に敷かれた。
約束の橋 チーム 赤ずきん リコニー エジンバラ さくもん コモドド モスリン べにえび エンジン オーリ センデ ジーピー シーアイ マンサク ジュエリー トニック チューナー マンデート シャン だいろ 一千一秒 大人の生活 スキーム エイハラ スラロー ロータリー ティズム シンボル オヤマ ファシリ センタ テラコッタ センシ ツール モチーフ ギョリュ モジュ 中仙道 ひわき ジャッカル ケミストリー ローズウッド トークン 一字千金 地上の星 キャップ リーフ マナスル オーソラ

大泊から豊原の間に軍事物資を輸送するための交通機関が必要となったため、軍用の鉄道を敷設することになった。これが樺太における鉄道の創始である。樺太民政署が置かれた後の1906年(明治39年)9月24日に軌間600mmの路線として着工され、僅か55日後の11月17日には竣工、12月1日にはコルサコフ(大泊)?ウラジミロフカ(豊原)間43.3kmで営業が開始された。この時設けられた途中駅は、トレチャパーチ(三ノ沢)・ソロイヨフカ(貝塚)・ミツリヨフカ(中里)・ホムトフカ(清川)の4つであり、軍事輸送の他に民間の旅客・貨物輸送も行った。しかし突貫工事であったため設備が貧弱であり、全線の所要時間は6時間にも達し、表定速度は自転車よりも遅い約7.2km/hという有様であった。更に車両も蒸気機関車の他には無蓋車があった程度であったため、冬は最寒月の豊原市で平均氷点下13.7℃となる中、無蓋車の上にテントを張っただけの車輌に寒さに耐えながら乗車しなくてはならなかった。

1907年(明治40年)3月15日には樺太民政署に代わって樺太庁が発足、鉄道も軍部から樺太庁の交通課に移され、太平洋戦争終戦までに以下に記したような鉄道路線が整備された。また、1910年(明治43年)には軌間も日本国鉄と同様の1067mmに改められ、更に1923年(大正12年)には北海道稚内市の稚内駅から大泊港駅の間を結ぶ稚泊連絡船が開かれて、その他に存在した小樽?大泊・真岡間、稚内?本斗間、小樽?栄浜間の民間航路などと共に、それを挟んで内地の鉄道との連絡運輸も始められた。

1943年(昭和18年)には樺太も内地編入され、鉄道も樺太庁から鉄道省に移管された。

1945年の米英ソによるヤルタ会談により、ソ連はドイツ降伏の3ヶ月後日ソ中立条約に反して対日参戦し、南樺太はソ連が獲得することで合意された。これに基づき、日本の敗戦直前にソ連軍が侵略を開始して、1945年(昭和20年)8月中には樺太全土が占領され、鉄道も接収された。日本による鉄道の運行は停止し、8月24日を最後に鉄道連絡船稚泊航路も休止された。

路線及び航路 [編集]
樺太東線(大泊港 - 豊原 - 落合 - 敷香 - 古屯(414.4km) :支線 落合 - 栄浜(10.3km) :貨物線 栄浜 - 栄浜海岸(1.8km))
豊真線(豊原 - 手井 ※のちに小沼駅 - 手井駅(76.2km)に変更)
川上線(小沼 - 川上炭山(21.9km))
樺太西線(本斗 - 手井 - 真岡 - 泊居 - 久春内(170.1km) :貨物線 本斗駅 - 浜本斗駅(1.3km) :貨物線 真岡駅 - 浜真岡駅(1.8km))
※樺太西線については、久春内から珍内を経て恵須取・藻糸音まで延長工事が進められ、久春内から50kmほどの地点・中倉庫までと恵須取方は恵須取周辺から上恵須取まで路盤工事が完成し、一部軌条の敷設も済んでいた。しかし、戦局の悪化から軌条を剥がし樺太東線の延長に使われた。

また、以下のような私鉄・専用鉄道も存在した。

南樺鉄道線(新場駅 - 留多加駅(18.6km))
帝国燃料興業会社内淵線(大谷駅 - 内淵駅(23.2km))
南樺太炭鉱鉄道線(後の帝国燃料興業会社内幌線)(本斗駅 - 内幌炭山駅(16.4km))

2009年03月08日

近代から現代にかけての世界の一体化

近代から現代にかけての世界の一体化では、第一次世界大戦勃発から超大国としてのアメリカ合衆国・ソビエト連邦の台頭、第二次世界大戦とヨーロッパ諸国の没落、アジア・アフリカ諸国の独立を取り扱う。

第一次世界大戦の終結において、初めて、民族名あるいは地域名を国家名に名乗らないソビエト連邦が結成された。また、戦場とならなかったアメリカ合衆国は第一次世界大戦を契機にヨーロッパ諸国に対して債権国へと成長を遂げた。
イルカ カッション イナリー ヒンズー ケミカル ヤブラン おりあお パララ アリーナ テリア キンバ マキャベ フードル ハイファイ マイル けんち バルジ ビリティ ビスケ ボール オセロッ ロス ストップ マリン ローエン ランタナ ギブアウ キドニー コーヒー ヒヤシ ファクタ ジュレハ ショベルカ ライフ リック ドレス シーエム ガヤツリ レーン ケション ナラタ プレイ デパオク グロテ ハジャイ トリック シロシ ドット リナッ フィア

民族自決の原則がドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の旧領で適用されたが、東欧諸国の独立はソビエト連邦と西ヨーロッパ諸国との間の緩衝国としての役割を持ったにすぎず、独立した各国がそれぞれ民族問題を内包する結果となった。加えて、アジアやアフリカでは民族自決の原則が適用されず、多くの国の独立が第二次世界大戦終了を待たなければならなかった。

第二次世界大戦で勝利したアメリカとソ連は、全世界で冷戦と呼ばれる衝突を繰り返した。その中で展開されたベトナム戦争において、アメリカは経済的に日本と西ドイツの台頭を許す結果となった。1967年のヨーロッパ共同体(EC)結成を契機に、西側諸国は米欧日の三極構造へと徐々に変遷していく。また、ワルシャワ条約機構を中心に東側諸国を衛星国化したソ連もまた、中華人民共和国、ユーゴスラビアがソ連に対して離反する動きを見せ始めた時代であった。

第二次世界大戦以降、かつての植民地の多くが政治的に独立を達成していった。そのなかで、西側諸国の枠組みの中で、東南アジア諸国連合(ASEAN)が1967年に結成されるなど、各地域で政治的のみならず、経済的自立を模索する時代へと突入していった。

1908年オスマン帝国に青年トルコ党の革命がおこると、ブルガリアはこれを機に独立を宣言し、オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。ここはかねてよりセルビアの望んでいた土地だった。ロシアは1912年ブルガリア、セルビア、モンテネグロ、ギリシアをバルカン同盟に組織し、第2次モロッコ事件(上述)と伊土戦争に苦しむオスマン帝国に対し宣戦布告させた(第一次バルカン戦争)。オスマン帝国は敗北したが、その戦後処理において、ブルガリアとセルビア・ギリシアの間に対立が生じ、第二次バルカン戦争が起こってブルガリアは、オスマンとともに三国同盟側に接近した。こうして、スラヴ、ゲルマン、ギリシア、ラテン、トルコなど諸民族がぶつかりあうバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」となった。

1914年、サラエヴォ事件によって、オーストリア皇太子が暗殺された。このような事態を予期していたドイツはただちに小モルトケによってシュリーフェン・プランが実行にうつされ、ベルギーの中立を犯してフランスに侵入したが、マルヌ会戦に破れて戦争は長期化した。ブルガリアとトルコはドイツ側に立ったが、「未回収のイタリア」問題でオーストリアと対立していたイタリアは1915年連合国側に立って参戦した。日本は日英同盟を根拠に在中国ドイツ基地を攻撃し、ドイツ権益を継承、次いで中国に二十一か条の要求を行った。

開戦3年目には航空機、戦車、毒ガスなどの近代兵器が登場し、ヴェルダンの要塞をめぐって死者25万人を出す激しい攻防戦(ヴェルダンの戦い)が展開された。当初、すぐに終わるであろうと思われていた戦争は長期化し、国家総力戦となって各国民を苦しめた。

1917年にはロシア革命が起こり、ニコライ2世は退位した。二重権力の状態を経て11月には社会主義革命が起こり、ニコライは処刑され、ソヴィエトは翌年ドイツと単独講和を結んだ(ブレスト=リトフスク条約)。窮地においこまれたドイツも、イギリスの制海権を打破するため、1917年の初めに無制限潜水艦作戦を宣言したが、これはアメリカ合衆国を決定的に連合国側に立たせることとなり、17年4月にはアメリカが参戦、200万人以上の兵士をヨーロッパに投じ、ついで中南米諸国や中国もドイツに対し参戦した。

1918年にはいると、ドイツでは物資の不足が深刻化し、国民の不満は高まってきた。同年秋以降、同盟国がつぎつぎに降伏し、ドイツは敗色濃厚となった。こうしたなか、11月にはキール軍港の水兵の反乱を機にドイツ革命がおこり、ドイツ共和国(ヴァイマル共和政)が成立した。ドイツ社会民主党を主体とする内閣は同月、連合国と休戦条約をむすび、ここに莫大な犠牲をだした大戦は終結した。

2009年02月19日

機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で

ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で…』の登場兵器を挙げる。
ストアッ ソードフ こりー テレホブ ヘンジ ガーべジ ミュータント アシッド ゲリコ チェスト キャリア オープン モンゴ ストリー ビッチ シェイク モック マジャ クリアス テネリ ロム ジュエル ルブリク リムジン エナメルレ ダルフ ファウ ライト デスク ロック カクテル セシウム リカステ キンレン モンキ 花の坊 ワイン ウィキ ミゼット サイコ ステージ 黒船 ゲルマ オメガ ハリウッド ソーラー ケイン セレナイト テーラー フロップ

地球連邦軍

RX-77D ガンキャノン量産型(ホワイト・ディンゴ隊仕様)
RGM-79 ジム(ホワイト・ディンゴ隊仕様)
RGM-79SP ジム・スナイパーII(ホワイト・ディンゴ隊仕様)
RGC-80 ジム・キャノン(ホワイト・ディンゴ隊仕様)
ジオン公国軍

MS-07B グフ(ヴィッシュ・ドナヒュー中尉機)
MS-14G 陸戦型ゲルググ
ライノサラス(モビルアーマー)

] ガンダムネットワークオペレーションシリーズ
ここには、コンピュータゲーム『ガンダムネットワークオペレーション』シリーズの登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RGM-79 プロトタイプジム
RGM-79[E] 先行試作量産型ジム 宇宙戦仕様(先行量産型ジム 宇宙戦仕様)

機動戦士ガンダム ギレンの野望シリーズ
ここには、ゲーム『機動戦士ガンダム ギレンの野望シリーズ』の登場兵器(ゲームオリジナルのもの以外は省略)を挙げる。

地球連邦軍

RX-78-2 高機動型ガンダム
ティターンズ

RX-78ティターンズカラーガンダム
RX-178-X0 ガンダムMk-II 試作0号機
ジオン公国軍

MS-15A ギャン量産型
MS-15B ギャン高機動型
MS-15C ギャンキャノン
MS-15FギャンM(マリーネ)
MS-15FsギャンM(マリーネ)指揮官用
MS-15KGギャンK(クリーガー)
MSN-02R 高機動型ジオング
ネオジオン

RX-78/C.A. キャスバル専用ガンダム

魔法の少尉ブラスターマリ
ここには、漫画『魔法の少尉ブラスターマリ』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

強行偵察型ジム
地底戦用ジム
RGM-79G ジム・コマンド
RGM-79GS ジム・コマンド宇宙戦仕様
RB-79 ボール
ジオン公国軍

MS-05B ザクI(1日号)
MS-06FZ ザクII改
MS-06R-2 リックドムII
MS-14JG ゲルググJ
ザクZ

Gの影忍
ここには、漫画『Gの影忍』の登場兵器を挙げる。

忍/機動忍軍

Gの影忍
ザクII(スザク機)
ザクII(サジリ機)
ザクII(ワキ機)
グフ(クグツ機)
ゾック(クグツ機)
死念坊、苦念坊のドム(通称コムソードム)
タロウザのキュベレイ(通称カブキュベレイ)
ザクI(斬牙機)
ニセ・ガンダム
ハンブラビ+(プラス)
ハウンド・フォックス
バウ=ドラゴ
アシュラ・アジール
ガザ・H(ハンニャ)
ジ・オ=ノフジ
メタル・グフ
風神
雷神
その他

リクオー
バイオ・ガンダム

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
ここには、OVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-77D 量産型ガンキャノン
RX-78NT-1 ガンダムNT-1(アレックス)
RX-78NT-1FA ガンダムNT-1フルアーマー(チョバム・アーマー装備型)
RGM-79 後期生産型ジム(設定のみ)
RGM-79D ジム寒冷地仕様
RGM-79G ジム・コマンド
RGM-79GS ジム・コマンド宇宙戦仕様
RGM-79SP ジム・スナイパーII
リーア(サイド6)軍

リーア35ドラケンE(ミドルモビルスーツ)
ジオン公国軍

MS-06FZ ザクII改
MS-09R-2 (MS-09RII) リック・ドムII
MS-14JG ゲルググJ
MS-18E ケンプファー
MSM-03C ハイゴッグ
MSM-07E ズゴックE

機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 プラモデル解説書
ここには、プラモデル『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の登場兵器を挙げる。一部の設定は後付けのものである。

地球連邦軍

RGM-79GS ジム・コマンド・ライトアーマー
RX-78NT-1 フルアーマーガンダムNT-1(FA-78-1 福地版フルアーマーガンダム)
ジオン公国軍

MS-06F 量産型ザクII(中期生産型)
ケンプファー系
YMS-18 プロトタイプケンプファー
MS-18F ケンプファーF型(設定のみ)
MSM-03 ゴッグ改(ゴッグ中期生産型)

] MS-ERA 機動戦士ガンダム戦場写真集
ここには、書籍『MS-ERA 機動戦士ガンダム戦場写真集』の登場兵器を挙げる。

ジオン公国軍

大型二足歩行機(モビルスーツ原型)
ザクレロ改(モビルアーマー)
ビグロ改(モビルアーマー)

モデルグラフィックス/ガンダムウォーズ
ここには、雑誌『モデルグラフィックス』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78NT-1 ガンダムNT-1プロト

Bクラブ
ここには、雑誌及びガレージキット『Bクラブ』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78NT-2 ガンダムNT-2
RX-78NT-3 ガンダムNT-3

] ホビージャパン/ガンダムウェポンズ
ここには、雑誌『ホビージャパン』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

FA-78-X ガンダムNT-1(FSWS装備型)

機動戦士ガンダム第08MS小隊
ここには、OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-75 量産型ガンタンク(量産検討型ガンタンク)
RB-79K 先行量産型ボール
RX-79[G] 陸戦型ガンダム(量産型ガンダム)
RX-79[G]Ez8 ガンダムEz8
RGM-79E 初期型ジム
RGM-79[G] 陸戦型ジム(先行試作量産型ジム)
RGM-79[G] ジム・スナイパー
ジオン公国軍

MS-05B ザクI
MS-06F ザクII
MS-06JC 陸戦型ザクII
MS-06K ザク・キャノン
MS-06RD-4 宇宙用高機動試験型ザク
MS-06V ザクタンク
MS-07B-3 グフカスタム
MS-07H-8 グフフライトタイプ
MS-09 ドム
MSM-04 アッガイ
アプサラス (I)(モビルアーマー)
アプサラスII
アプサラスIII

機動戦士ガンダム MS IGLOO

機動戦士ガンダム MS IGLOO -1年戦争秘録-
ここには、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO -1年戦争秘録-』の登場兵器を挙げる。

ジオン公国軍

EMS-10 ヅダ
YMT-05 ヒルドルブ(モビルタンク)

機動戦士ガンダム MS IGLOO 603
ここには、漫画『機動戦士ガンダム MS IGLOO 603』(一年戦争秘録の漫画化+オリジナルエピソード)の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RB-79N フィッシュアイ
ジオン公国軍

EMS-04 ヅダ
QEX-04M エーギル
YOP-04 バロール
ゲファンゲナー・ゲム(鹵獲ジム)
ゲム・カモフ(偽装ジム)

機動戦士ガンダム MS IGLOO -黙示録0079-
ここには、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO|機動戦士ガンダム MS IGLOO -黙示録0079-』の登場兵器を挙げる。

ジオン公国軍

MSM-07D ゼーゴック
MA-05Ad ビグ・ラング
MP-02A オッゴ

機動戦士ガンダム MS IGLOO 2 重力戦線
ここには、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO|機動戦士ガンダム MS IGLOO 2 重力戦線』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RTX-440 陸戦強襲型ガンタンク

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY
ここには、OVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78GP01 ガンダム試作1号機 "ゼフィランサス"
RX-78GP01-Fb (RX-78GP01Fb) ガンダム試作1号機 "ゼフィランサス" フルバーニアン
RX-78GP02 ガンダム試作2号機 "サイサリス"(設定のみ)
RX-78GP02A ガンダム試作2号機 "サイサリス"
RX-78GP03 ガンダム試作3号機 "デンドロビウム"
RX-78GP03S ガンダム試作3号機 "ステイメン"
RX-78GP03S ガンダム試作3号機 "ステイメン" Pスペック(本編未登場)
RX-78GP04G ガンダム試作4号機 "ガーベラ"(本編未登場)
RB-79C ボール改(他関節マニピュレーター)
RGM-79C ジム改
RGM-79 パワード・ジム
RGM-79N ジム・カスタム
RGC-83 ジム・キャノンII
MS-06F-2 (MS-06F2) 後期量産型ザクII
ジオン公国軍

MS-09F ドム・フュンフ
MS-14A (MS-14H) ゲルググ(アナベル・ガトー専用機)
デラーズ・フリート

MS-06F-2 (MS-06F2) ザクII
MS-09F/Trop ドム・トローペン
MS-09R-2 (MS-09RII) リック・ドムII
YMS-16M ザメル
YMS-16M メルザ・ウン・カノーネ(本編未登場)
MS-14F ゲルググ・マリーネ
MS-14Fs ゲルググ・マリーネ(指揮官用機)
MS-21C ドラッツェ
RX-78GP02A ガンダム試作2号機"サイサリス"
AGX-04 ガーベラ・テトラ
AGX-04A1 ガーベラ・テトラ改(LD解説書)
AMA-X2 (AMA-002) ノイエ・ジール(モビルアーマー)
MA-06 ヴァル・ヴァロ(モビルアーマー)
アクシズ(ネオ・ジオン)

AMA-002 (AMA-X2) ノイエ・ジール(モビルアーマー)
ティターンズ

RGM-79Q ジム・クゥエル

ホビージャパン/ガンダムウェポンズ
ここには、雑誌『ホビージャパン』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78GP01-FA ガンダム試作1号機フルアーマー(フルアーマーGP01)
RX-78GP01PF パーフェクトガンダムGP01(パーフェクトガンダム4号機、設定のみ)
RX-78GP01-ST ストライクGP01
RX-78GP01F ガンダム試作2号機 "ヘルハウンド"
RX-78GP01PF パーフェクトガンダムGP02(パーフェクトガンダム3号機)
RX-78GP04G ガンダム試作4号機"ガーベラ"
デラーズ・フリート

MS-21M ドラッツェM型
MA-06 ヴァル・ヴァロ ブースター・ユニット装備型(モビルアーマー)

モデルグラフィックス/ガンダムウォーズ
ここには、雑誌『モデルグラフィックス』の登場兵器を挙げる。

デラーズ・フリート

RX-78GP02B ガンダム試作2号機改(ビーム・バズーカ装備型)
機動戦士ガンダム ファントム・ブレット
ここには、雑誌企画『機動戦士ガンダム ファントム・ブレット』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78GP00 ガンダム試作0号機 "ブロッサム"

アナハイム・ジャーナル
ここには、書籍『機動戦士ガンダム公式資料集 アナハイム・ジャーナル』の登場兵器を挙げる。

地球連邦軍

RX-78GP02 ガンダム試作2号機
RX-78GP03 ガンダム試作3号機 トライアルプラン

機動戦士Ζガンダム
ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『機動戦士Ζガンダム』の登場兵器を挙げる。

エゥーゴ

RMS-099 (MSA-099, MSA-009) リック・ディアス(コードネーム:γガンダム)
MSN-00100 (MSN-100, MSN-001) 百式(コードネーム:δガンダム)
MSA-003 ネモ
MSA-005 メタス
MSZ-006 Ζガンダム(コードネーム:ζガンダム)
RGM-79R (RGM-179, RMS-179) ジムII
RX-178 ガンダムMk-II
RX-178+FXA-05D スーパーガンダム(Mk-IIディフェンサー)
RX-178+FXA-05D Gフライヤー
RGM-79N ジム・カスタム(映画版のみ)
RGC-83 ジム・キャノンII(映画版のみ)
カラバ

MSK-008 ディジェ
ティターンズ

ジム系
RGM-79Q ジム・クゥエル(映画版のみ)
RMS-179 (RGM-179, RGM-79R) ジムII
RMS-106 ハイザック
RMS-106CS (RMS-116) ハイザック・カスタム(隠れハイザック)
RMS-108 マラサイ
RX-110 ガブスレイ
RX-139 ハンブラビ
RMS-154 バーザム
RMS-156 グリフォン(漫画版のみ)
RX-160 バイアラン
RX-178 ガンダムMk-II
ORX-005 (ORX-05, CRX-005) ギャプラン(可変モビルアーマー)
NRX-055, NRX-055-2, NRX-055-3 (NRX-005) バウンド・ドック(可変モビルアーマー)
MRX-009 サイコガンダム(可変モビルアーマー)
MRX-010 サイコガンダムMk-II(可変モビルアーマー)
ティターンズ(ジュピトリス)

PMX-000 メッサーラ(可変モビルアーマー)
PMX-001 パラス・アテネ
PMX-002 ボリノーク・サマーン
PMX-003 ジ・O
地球連邦軍

ザクII系
MS-06E ザク強行偵察型
MS-06K ザクキャノン
MS-06M マリン・ハイザック
MS-06V ザクタンク
MS-07H グフ飛行試験型
MS-11 アクト・ザク
RMV-1 ガンタンクII
ガンキャノン系
RX-77-3 ガンキャノン重装型
RGC-80 ジム・キャノン
ジム系
RGM-79SC ジム・スナイパーカスタム
RGM-79R (RGM-179, RMS-179) ジムII
RMS-106 ハイザック
RMS-117 ガルバルディβ
NRX-044 (NRX-004) アッシマー(可変モビルアーマー)
アクシズ(ネオ・ジオン)

AMX-003 ガザC
AMX-004 キュベレイ
AMX-007 ガザE(映画版のみ)
MS-21C ドラッツェ(映画版のみ)
MS-110 チャイカ(漫画版のみ)

2009年02月03日

石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)

石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いである。治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。
アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ

源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵。伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫した。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びてこの地で再挙することになる。
関東は平安時代中頃から河内源氏の地盤で、多くの武士が古くからの源氏の家人だった。源頼義、義家父子は東国武士を率いて前九年の役、後三年の役を戦った。源義朝も保元の乱、平治の乱で東国武士多数を率いて戦っている。平治の乱で義朝は平家に敗れて殺され、その三男の頼朝は伊豆国蛭ヶ小島(静岡県伊豆の国市)に流罪となった。東国武士は平家に従い、諸国の源氏も逼塞していた。

頼朝は流人の身のまま20年以上を過ごし、平家の疑いを受けぬよう読経に精進していた。頼朝は北条時政の娘政子を妻とし一女をもうけ、伊豆国の豪族北条氏が流人の頼朝の庇護者となる。

治承4年(1180年)後白河法皇の子の以仁王は摂津源氏の源頼政とともに平家打倒の挙兵を決意。諸国の源氏に令旨を送り蜂起を促した。その使者となったのが頼朝の叔父の行家である。4月27日に行家は蛭ヶ小島(または北条館)を訪れた。頼朝は水干に着替え、男山八幡に遥拝した後に謹んで令旨を拝読。行家は甲斐・信濃へ赴くためにすぐに立ち去った。

5月、挙兵計画が発覚し、以仁王と頼政は準備不十分のまま挙兵を余儀なくされ、平家の追討を受けて戦死(以仁王の挙兵)。6月24日、京の三善康信(頼朝の乳母の妹の子)が平家が諸国の源氏を追討しようとしているので直ちに奥州藤原氏の元へ逃れるようにと急報を送ってきた。27日に京より下った三浦義澄、千葉胤頼らが北条館を訪れて京の情勢を報告。頼朝は東国での挙兵を決断する。

頼朝は安達盛長に源家累代の家人の動向を探らせた。『源平盛衰記』によると波多野義常は返答を渋り、山内首藤経俊に至っては「佐殿(頼朝)が平家を討とうなぞ、富士山と丈比べをし、鼠が猫をとるようなものだ」と嘲笑した。だが、大庭景義(大庭景親の兄)は快諾し、老齢の三浦義明は涙を流して喜び、一族を集めて御教書を披露して同心を確約した。千葉常胤、上総広常もみな承諾したという。

山木館襲撃
頼朝は8月17日をもって挙兵することを決め、まず手始めに伊豆目代の山木兼隆を討つことにした。山木兼隆は元々は流人だったが平家一族であったために目代となり、伊豆で勢力を持っていた。さらに『吾妻鏡』によると兼隆は頼朝と「私の意趣」があったという。『曾我物語』などに頼朝と恋仲だった政子が兼隆に嫁がされそうになり、勝気な政子は頼朝のもとへ逃げ出して、以来、頼朝と兼隆は敵同士になったという話がある。

挙兵を前に、頼朝は工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉らを一人ずつ私室に呼び、それぞれと密談を行い「未だ口外せざるといえも、ひとえに汝を頼むによって話す」と言い、彼らは自分だけが特に頼りにされていると喜び奮起する。

そして挙兵の前日に至るが、佐々木定綱、経高、盛綱、高綱ら佐々木兄弟が参ぜず、頼朝は盛綱に計画を漏らした事を悔いるも、挙兵の8月17日(新暦9月8日)、洪水により遅れ、急ぎ疲れた体で兄弟が参着すると、頼朝は涙を流してねぎらった。

兼隆の雑色男が頼朝の家の下女と恋仲で、その日も来ていた。多くの武者の集まっていると注進される恐れがあるので用心のため生け捕る。

襲撃は朝駈けを図っていたが佐々木兄弟の遅参によって計画がくるってしまった。頼朝は明朝を待たずに直ちに山木館を襲撃すべしと命じ、「山木と雌雄を決して生涯の吉凶を図らん」と決意を述べる。また、山木の館を放火するよう命じ、それをもって襲撃の成否を確認したいと欲した。

時政は「今宵は三島神社の祭礼であるが故に牛鍬大路は人が満ちて、襲撃を気取られる恐れがあるから、間道の蛭島通を通ってはどうか」と進言するが、頼朝は「余も最初はそう思ったが、挙兵の草創であり、間道は用いるべきではない。また、蛭島通では騎馬が難渋する。大道を通るべし」と命じた。

深夜一行は進発。途中の肥田原で時政は佐々木定綱に兼隆の後見役の堤信遠は優れた勇士であるので軍勢を別けてこれを討つよう命じた。佐々木兄弟は信遠の館に向かい、子の刻に経高が館に矢を放った。『吾妻鏡』はこれを「源家が平家を征する最前の一箭なり」と記している。信遠の郎従が応戦して矢戦になり、経高は矢を捨てて太刀を取って突入。信遠も太刀を取って組み合いになった。経高が矢を受けて倒れるが、定綱、高綱が加わり、遂に信遠を討ち取った。

時政らの本隊は山木館の前に到着すると矢を放つ。その夜は三島神社の祭礼で兼隆の郎従の多くが参詣に出払い、黄瀬川の宿で酒宴を行っていた。館に残っていた兵は激しく抵抗。信遠を討った佐々木兄弟も加わり、激戦となるが容易に勝敗は決しない。

頼朝は山木館の方角を遠望するが火の手は上がらない。焦燥した頼朝は警護に残っていた加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家を山木館へ向かわせる。特に景廉には長刀を与え、これで兼隆の首を取り持参せよと命じた。景廉、盛綱は山木館に乗り込み、遂に兼隆を討ち取った。館に火が放たれ悉く燃え尽きる。襲撃隊は払暁に帰還し、頼朝は庭先で兼隆主従の首を検分した。

19日、頼朝は兼隆の親戚の史大夫知親の伊豆国蒲屋御廚での非法を停止させる命令を発給した。『吾妻鏡』はこれを「関東御施政の始まりである」と特記している。

石橋山の戦い

歌川国芳作、石橋山の戦いで組み合う佐奈田与一義忠と俣野五郎景久目代である山木兼隆を倒しても頼朝の兵力のみで伊豆1国を掌握するには程遠く、平家方の攻撃は時間の問題であった。頼朝は相模国三浦半島に本拠を置き大きな勢力を有する三浦一族を頼みとしていたが、遠路のためになかなか参着して来なかった。8月20日、頼朝は僅かな兵で伊豆を出て、土肥実平の所領の相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)まで進出。これに対して、平家方の大庭景親が俣野景久、渋谷重国、海老名季員、熊谷直実ら3000余騎を率いて迎撃に向かった。

23日、頼朝は300騎をもって石橋山に陣を構え、以仁王の令旨を御旗に高く掲げさせた。谷ひとつ隔てて景親の軍も布陣。さらに伊豆国の豪族伊東祐親も300騎を率いて石橋山の後山まで進出して頼朝の背後を塞いだ。この日は大雨となった。そのため、増援の三浦軍は酒匂川の増水によって足止めされ、頼朝軍への合流が出来なかった。

前日に三浦一族は頼朝と合流すべく進発しており、途中の景親の党類の館に火を放った。これを遠望した景親は三浦勢が到着する前に雌雄を決すべしとし、夜戦を仕掛けることにした。闇夜の暴風雨の中を大庭軍は頼朝の陣に襲いかかる。

『平家物語』によると合戦に先立って、北条時政と大庭景親が名乗りあい「言葉戦い」をした。景親は自らが後三年の役で奮戦した鎌倉景正の子孫であると名乗り、これに時政がかつて源義家に従った景正の子孫ならば、なぜ頼朝公に弓を引くと言い返し、これに対して景親は「昔の主でも今は敵である。平家の御恩は山よりも高く、海よりも深い」と応じた。

頼朝軍は力戦するが多勢に無勢で敵わず、岡崎義実の子の佐奈田与一義忠らが討ち死にして大敗した。『平家物語』、『源平盛衰記』などには佐奈田与一(真田余一)の奮戦が伝えられ、この地には与一を祀る佐奈田霊社が創建されている。

大庭軍は勢いに乗って追撃し、頼朝に心を寄せる大庭軍の飯田家義の手引きによって頼朝らは辛くも土肥の椙山に逃げ込んだ。

翌24日、大庭軍は追撃の手を緩めず、逃げ回る頼朝軍の残党は山中で激しく抵抗した。頼朝も弓矢をもって自ら戦い百発百中の武芸を見せた。ちりぢりになった頼朝軍の武士たちはおいおい頼朝の元に集まり、頼朝は臥木の上に立ってこれを悦んだ。土肥実平は、人数が多くてはとても逃れられない、ここは自分の領地であり、頼朝一人ならば命をかけて隠し通すので、皆はここで別れて雪辱の機会を期すよう進言し、皆これに従って涙を流して別れた。北条時政と二男の義時は甲斐国へ向かい、嫡男の宗時は別路を向かったが、宗時は途中で伊東祐親の軍勢に囲まれて討ち死にしている。

大庭軍は山中をくまなく捜索した。大庭軍に梶原景時という武士がいて、頼朝の居場所を知るが情をもってこれを隠し、この山に人跡なく、向こうの山が怪しいと景親らを導き、頼朝の命を救った。このことが縁で後に景時は頼朝から重用されることになる。土肥の椙山の「しとどの窟」がこのエピソードにまつわる伝説の地として伝わっている。

由比ヶ浜の戦い
頼朝と合流すべく所領の三浦半島を出た三浦義澄、和田義盛ら三浦一族500騎は丸子川(酒匂川)の辺りまで来ていたが、豪雨の増水のために渡河できずにいたところ、頼朝軍の敗北を知り、引き返した。

三浦一族は鎌倉の由比ヶ浜で平家方の畠山重忠の軍勢と遭遇。和田義盛が名乗りをあげて、双方対峙した。同じ東国武士の見知った仲で縁戚も多く、和平が成りかかったが、遅れて来た事情を知らない義盛の弟の和田義茂が畠山勢に討ちかかってしまい、これに怒った畠山勢が応戦。義茂を死なすなと三浦勢も攻めかかって合戦となった。双方に少なからぬ討ち死にが出た。停戦がなり、双方が兵を退いた(小壺坂合戦、小坪合戦)。

26日に畠山重忠、河越重頼、江戸重長ら平家方の大軍が三浦半島に押し寄せた。三浦一族は本拠の衣笠城で防戦するが、先の合戦で疲労していたこともあって支えることができず、城を捨てて船で海上へ逃れることに決した。

この時に89歳の三浦義明は「源氏累代の家人として、その再興に立ち会うことができた。これ程の喜びはない。武衛(頼朝)のために我が老命を奉げて子孫の勲功を募らん。皆は彼の生死を確かめよ」と言って、ひとり城に残り、討ち死にしている(衣笠城合戦)。

戦後
頼朝、実平一行は箱根権現別当行実に匿われた後に箱根山から真鶴半島へ逃れ、船を仕立てて真鶴岬(神奈川県真鶴町)から出航。時政らも引き返して船を仕立て、海上で三浦一族と合流し、安房国を目指して落ち延びた。

9月、安房においては頼朝は再挙し、安西氏、千葉氏、上総氏などに迎えられて房総半島を進軍して武蔵国へ入った。東国武士が続々と参集して、短期間で数万騎の大軍に膨れ上がり、大庭景親ら平家方はもはや抗することが叶わなくなった。10月6日に頼朝は鎌倉に入り、10月20日に富士川の戦いにて、京から派遣された平維盛の軍勢を撃破。これにより、頼朝は関東を制することになる。

石橋山の戦いで頼朝を破った大庭景親と伊東祐親は平家方に合流しようとするが失敗し、景親は降参するが許されずに斬られ、祐親は捕えられ自害した。

2009年01月20日

競技会におけるフィギュアスケートの衣装

衣装
競技会におけるフィギュアスケートの衣装は、スポーツ競技にふさわしい品位を保ったものでなければならない[1]。初期の男子は正装に近い格好(Yシャツにネクタイに黒のスーツ)であったが、徐々に舞台衣装のように視覚効果を重視したデザインや色のものを着るようになった。しかし競技においては過剰な露出や小道具の使用は禁止されている。
男子は長ズボンの着用が義務付けられている。
シングルやペアの女子はジャンプなどの動作で邪魔にならないよう、レオタードにミニスカートを組み合わせた衣装を着用することが多く、アイスダンスではスカート丈が長い傾向がある。スカートをはく女子選手はタイツを着用する。中にはブレードだけを外に出してスケート靴ごとタイツでくるむようにしてはく選手もいるが、これは靴の傷や汚れを隠す、足を長く見せる、など理由はさまざまである。2005-2006シーズン以降、女子選手のスカート着用義務が廃止されたことをうけ、パンツルックで演技するスケーターも増えている。
露出を避けるために(レギュレーションに加え、リンク内は氷が張られているので非常に寒い)、肌の色に近い生地を用いて、見掛け上ワンショルダーや露出の多い服装に見えるような工夫も見られる。
体に密着せずゆとりのあるデザインの場合は滑走時に布と体の間にはらんでしまう空気をよく通して空気抵抗を減らすために絹を用いたり、そのほか照明の下で映えるよう光沢のあるサテンやレザーといった多種多様な生地やスパンコールなども用いられる。衣装の制作はバレエなど舞台芸術関連の業者に発注することが多いが、小規模ながらフィギュアスケートの衣装制作を専門とする業者もいる。また選手の家族など周囲の人々が手作りで縫製する場合もある。
化粧については、舞台用のものと共通する部分が多く、女子(稀に男子も)の場合は、氷上で、また遠くから見ても映えるように、アイシャドーや口紅を濃く入れる場合が多い。
音楽
音楽を使用することが前提である。
アイスダンスでは歌詞の入った音楽を使ってもよい。
時間
競技においては、規定に定められている演技時間から逸脱してはならない。動きの停止と音楽を規定時間に合わせて編集しておく必要がある。
振付
フィギュアスケートの振付は、振付師をはじめ、コーチや場合によっては選手自身によって行なわれる。フィギュアスケートの競技経験のある者が振付を担当するのが一般的である。
なお、エキシビションでは上記のような制約はない。競技においては演出的要素に違反があったとジャッジにみなされた場合はディダクションによる減点を受けることとなる。

各種目におけるプログラムの規定
共通事項として、フィギュアスケートのルールは非常に細かく定められており、クラス毎に規定に若干の違いがある。

シングル
男子女子ともに、シングルスケーティングのプログラムには、ショートプログラムとフリースケーティングがあり、先にショートプログラムが行われる。大会によっては、ショートプログラムで所定の順位に入った者のみでフリースケーティングを行うこともある。

ペア
ペアのプログラムも、シングル同様ショートプログラムとフリースケーティングがあるが、こちらは男女2人でしか表現できない技に重点が置かれる。演技の中には失敗すると危険な要素も多く、フィギュアスケートの中でも、最もアクロバティックな競技と言われる。

アイスダンス
アイスダンスは、ペア同様、男女2人で競技されるが、こちらはリフトやジャンプは制限されており、ステップの技術が中心となる。氷上の社交ダンスとも呼ばれる。コンパルソリーダンス、オリジナルダンス、フリーダンスの3つのプログラムを行う。

採点法
SUジャッジングシステム
現在の採点法。以前に用いられていた採点方法に対する呼称として便宜上「新採点システム」と呼ばれることも多い。詳細はフィギュアスケートの採点法中の記述を参照。

かつての競技と採点の方法(旧採点方法)
ISUジャッジングシステム施行以前の2002年までに行われていた採点方法の総称である。
ヤーダ ひまわり ヘンチック ロミア シロタ イングラ カフジ はばたけ チンナカ テライト オーツ インチ ウバナ ミクロン スカウト ドットコム ティアラ きょうせい ニードル シュート ヒュー パート フラッ バタフライ メイド ケミカ 大葉春菊 一寸法師 ポリス ギアナ ニガナ リルフール フィック バネー ビー玉流し ダンディ インプット らんぐい ムール ものう ユニーク ムベ ジップア のぎつね ロッテル モヘンジ ハウス タンドー ブロージ リグニン

選手一覧
フィギュアスケートを題材とした作品
小説
「銀盤カレイドスコープ」(海原零、集英社スーパーダッシュ文庫、本作を原作とした、漫画・アニメ作品もあり)
漫画
スポーツ漫画を参照のこと。
映画
ソニア・ヘニー出演映画(1936-1948年、米国)
イナ・バウアー出演映画(1961-1962年、米国)
「アイス・キャッスル(Ice Castles)」(1978年、米国)
「時計 Adieu l'Hiver」(倉本聰監督、中嶋朋子主演、1986年、日本)
「冬の恋人たち(The Cutting Edge)」(1992年、米国)
「アイス・プリンセス(Ice Princess)」(2005年、米国)
「冬の恋人たち2(The Cutting Edge: Going for the Gold)」(2006年、米国)
「俺たちフィギュアスケーター(Blades of Glory)」(2007年、米国)
テレビドラマ
「てるてる家族」(NHK連続テレビ小説 2003-2004年、日本)
「赤い奇跡」(2006年、日本)
ゲーム
「くるくる◇プリンセス 〜フィギュアできらきら☆氷のエンジェル〜」(スパイク、2007年)
「くるくる◇プリンセス 〜夢のホワイト・カルテット〜」(スパイク、2007年)